2013年3月号 Vol12・No.6

2013年05月15日栄養ふくおか

東⽇本⼤震災から 2 年が経過しようとしています。わたしたちは栄養⼠として、震災から何を学び、今後どのようなことを検討し、⾏動しなければならないのか。今回は同じ栄養⼠の仲間であり、災害支援の経験もある西口さんに原稿をお願いしました。(広報部)

 

災害支援における実践訓練

大阪発達総合療育センター
医療技術部 栄養科 科長 西口千加

初めて緊急物資の海外⽀援に⾏き、もう15年程経過するだろうか。
当時、メーカーで企画開発の仕事をしていた私にとって、新⼈社員の登⻯門といわれる災害⽀援活動は、想像を絶する事の連続であった。現地は、アメリカ。川の氾濫により、多くの⽅が家屋を失い川辺で泣き崩れる⽅、⼦供を抱えて叫んでいる⽅、物資を送るには、どれ程沢⼭の技術や情報が必要なのであろうか・・・。
そして、2次災害。⻯巻の恐ろしさに⾝震いをしたのもこの時だ。物資を降ろし、いざ引き上げのという時に早⼝の英語が⾶び交った。逃げ場がない。⼤きな⻑い物体は、ゆっくりと地響きをたて、家屋や⾞を巻き上げ、左・右と姿を変える。もう⽇本には帰れないかも。
初めてトリアージを⾒たのもこの時だ。現地に⼊って16時間。何の技術をもたない私は何の役にも⽴たなかった。ただ、ブラックタグを巻かれた幼稚園位の⼦供を抱いて私の⾜を掴み泣き叫んでいる⺟親。「助けてくれ」と⾎だらけになった⼦供の顔に⼿をあて泣きつかれた。私が出来たことは、⼤きな四つ葉のクローバーを地⾯に書き、鞄にあったキャラメルを⼦供になめさてあげるだけだった。何分⺟親の肩を抱き⼀緒に泣いただろう。空の絵と天使になった⼦供の笑顔を地⾯に描いた時、ありがとうとハグをして貰った。
⽇本に帰国してからの起案書には、「⾷品トリアージ」について何⼗枚も書く毎⽇であった。⾷べ物がもつ深さである。命を繋ぐ栄養だけではない、⼼を繋ぐ⼿伝いも出来る。たとえブッラクタグであっても、栄養⼠にしか出来ない仕事であると、どうかそうであってほしいと願った。

数年し、国会で通った議案は、DMAT だけだった。経団連を通じかえってきた答えは、⽇本栄養⼠会からの提案ではないということだった。栄養⼠―。

当時の私は、管理栄養⼠の免許を持っていても、企業では技術者であって栄養⼠の雇⽤ではなかった。あれから、何度も国内外に⽀援参加させて頂き、危機管理について勉強した。最初は、震度とマグニチュードの違いも良く分からなかった。無知ならば今から知ればいい。優先順位がつけられる根拠を知り実践的な技術を⾝に着けていく事だ。被災地の状況を初めて⾒た時あなたは、TVの画⾯を通じ何を感じたであろうか?怖い?可愛そう?⾷品に携わる者であれば、プロとして流通過程を頭に描くことだ。
現場の備品庫にある⾷材の製造⼯程を頭に浮かべ、市場の流れを読むことだ。次に南海地震が起こる時には、⼤規模な被災状況が考えられる。物資は、空から落下して落としていくであろう。SOS だけでは、何が必要なのかヘリからは、読み取れない。徳島県栄養⼠会で講演したのは、カラー分類による救援物資の⽅法である。炭⽔化物は⻩⾊、ビタミンは緑、たんぱく質は⻘とした。⾚は、⾚⼗字や海外物資に取り付けられ⾒分けるのが困難であるからだ。増粘剤は⽩。何処の地域にどんな物が不⾜しているか空からは⼀目で分かる。世界中に必要な物資を配信できるのだ。
栄養⼠が団結すれば、必ず多くの県⺠や国⺠を⾃分たちの⼿で守っていける。それこそが、公益法⼈として必要な取り組みだと感じる。明⽇1⼈でも多くの患者様が1つでも多くの笑顔を⾒せてもらえるように・・・。
1⼈1⼈の経験と知識を繋いでいけば、必ず栄養⼠の技術は多くの⼈の⾝体や⼼を豊かにしてくれるだろう。

■筆者プロフィール
○東京家政学院 家政学部 管理栄養⼠専攻 卒業
平成8年4⽉〜
○某⼤⼿⾷品メーカー 商品企画開発部 室⻑ 兼 危機管理室担当 就任
⇒真空調理,クックサーブ⾷品の開発, 国内外の災害⽀援に携わる。モンドセレクション最⾼⾦賞受賞
平成 17 年 2 ⽉〜
○⽇本郵政株式会社 徳島逓信病院 栄養管理室 主任 就任
⇒徳島県医療協議会 役員 新研修会講師
徳島県栄養⼠会 災害対策委員会 副会⻑
徳島県静脈経腸栄養学会 幹事
⽇本静脈経腸栄養学会 NUTRI YOUNG INVESTIGATOR AWARD 受賞
「⼝腔リハビリフローチャートを利⽤した栄養アセスメント」
平成24年9⽉〜
○社会福祉法⼈ 愛徳福祉会 ⼤阪発達総合療育センター 医療技術部 栄養科 科⻑ 就任